てんてん転校生

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オシャレ感覚のズレ方

髪を切ってもらいました
東京は腕の良い美容師さんが多いと思いますが
数年もしないうちに辞めてしまったり
時期がきたら
実家の方へ戻ったり・・・
入れ替わりも激しいのかな
と思いますね
腕が良くても好みが合わなかったり
しゃべり方や笑い方が何だか気になってしまって嫌だったり
言葉が通じにくかったり
同じ日本人の日本語でも
どうもニュアンスが分かってもらえないってことがあります
しゃべらなくても
すぐに察して切ってくれたり
好みを分かってくれたり
変えてくれたりする人に当たるとホッとします
そういう人に出会うまで
トランプのカードを切るように
指名しないで
どんどん人を変えていくんです
長く一か所に住むようになって
そんなことができるようになりましたね
歯医者と美容院探しは
引っ越す度に試練です
海外では特にね
アメリカに居たとき
鋏を斜めに入れる人が皆無でした
真っすぐ横
髪に直角
すくという発想がないんですよね
細くて柔らかい髪ばかりなんでしょう
私の髪の毛を切ると
切った毛が自分に刺さる~って大騒ぎする人がいました
客を客とも思わぬ態度
それが普通でしょうね
それにしてもイヤな気分
ムッとしたんで
ほんのわずかしかチップをあげませんでした
もちろんシャンプーはないし
ドライアーも半渇きくらいで止めちゃうんですよ
私の多い髪の毛を乾かすと時間がかかるから
表面だけ乾いたら
はい終わり
でも
慣れって怖いですよね
帰国した当初
日本で美容院へ行くと
なんでこんなに時間がかかるんだろう?
って思いました。
優しく優しくシャンプーされるとイライラしたり
丁寧にブローされると
自信がないのかしらコイツ?
なんて思っちゃうんですよ
今では構ってもらわないと損した気分ですが・・・
それを
美容師さんに言うと
フランスへ研修に行って
ブローをしていると
ひったくって自分で気に入るようにやる客がいたそうです
ウエィブのかかった人は一生懸命ブローして伸ばすんでしょうね
丁寧、優しく扱われても
ちゃんとやっていないような気がするのでしょう
ちょっと分かるかも。。。
今となれば
懐かしいほどで
面白い話がいっぱいですが
当時はストレスフルでした
息子くんは
迎えに行ったらルパン三世みたいになっていたことがあって
ぼくMonkeyになっちゃった。。。
って
ブルーになったことがあります
そういえば周囲の男の子はみんなそういう髪型なんですよ
ビートルズ風というか
よくある普通の髪形
でも
日本人の黒髪で
多い髪をすきもせずに切るとね
やっぱりおサル風
格好良いよ~
って褒めまくりましたが
今写真を見ても面白い
アメリカにはアメリカの定番と流行があり
日本には日本の定番と流行があって
帰国してすぐは
やはりその日本の流行が分からなかったんですよね
何でここだけ数本だけ長いんだろう?
とかね
似合っているんだかどうだか
よく分からなくなってしまうんです
洋服もそうですね
何を着ればいいだろう?
似合っているんだかな?
欲しい服がない・・・ってね
10年かかってやっと良いと思う感じがつかめてきました
遅くないですか?
美容師さんにも笑われました

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-30 23:54

教えを乞うとき

実家へ行って来ました
パパさんが夏休みで
夏休みという季節でもないのですが
休みをとって一時帰国しているので
少し私は安心して実家へ行けるかな…という気分で
行って来ました
半月前
抗ガン治療中の父ですが
白血球が下がったときに
風邪だか何だか
菌が入ったようで
発熱し
ちょっと危なかったのです
息子くんが今年も受験生ですから
これからは
受験が終わるまでは
簡単には出かけられないので
念のため
会っておいてくれと言うんですよね
この10年くらい
治療して良くなってはまた治療だったので
徐々に私も覚悟ができてきたと思うのですが
平気にはなれませんね
最後の投与が終わって
これから白血球が下がっていくので
そこをうまくやり過ごせたら
退院ですね
頭の方がつるつる坊主になっておりました
とは言っても
もういい加減なお年頃なので
違和感はなくて
頭の形が良いので
よく似合っておりました
そして
池上彰さんの仏教って何なのか…っていう本を読んだらしく
仏教の歴史と日本での広まり
現在の教育問題を30分ほど
身振り手振り付きで熱弁してくれると
頭が頭なので
説得力があるね~
なんて言ってしまいました
もともと素質はあったというか
感謝の気持ちを持って
人と素直に接し
美しく生きる
ということを意識して生きている父です
自分の得になることばかり考えることはなく
みんなが気持ちよく過ごせるように
一生懸命やっています
母の弟、母が病気の時、困ったときには
父が事務処理を引き受けました
母は父に申し訳ないと思い
そんな母の気持ちを察して
自分に申し訳ないと気にしているのがかわいそうだと
私に言います
直接言葉でそう言ってあげたら良いのに・・・
でもそれはできないようなので
私から母に伝えました
そんなときは
良い夫婦だなぁ…と思いますね
仕事関係の人も
親戚一同
父のことはとても信用して
大事に思ってくれていると思います
それだけ
父の思いが届いているのは幸せなことだと思いますが
それでも今
仏教
まぁ、池上さんの著書なのですが
読んで考えているのは
病気を前に
死を前に
どこかに、不安な気持ちとすくいを求める思いがあって
自分を導く言葉、教えを求めているのだろうと思います
「楽は苦のもと、クは楽のもと」

うちのお子たちに伝言でした
きっと何か届くでしょう
私も子供のことで迷ったとき
苦しんだときは
母校の先生に教えを乞う気持ちで会いに行きました
私はカトリックの学校へ通っていましたから
聞く話はキリスト教なんですが
山の神、海の神、木の神、日の神・・・
も何となく信じています
要は何でもいいのだと思いますが
救いや道を求めて教えを乞うのです
深く、重く、難しい問題が多いのです
拠りどころを求めます
支えを探します
現在は経済も不安定で
自然災害も多発
平和でもなくなってきて
価値観バラバラ
問題ばかり山積されて
希望が見えない
人々は何か求めていますよね
自己啓発を考えるのですね
若い子たちは
あのオウム真理教にも魅かれるといいます
怖いのは人間の弱さ
人間の業
人間の強い念
コントロールを失った情
宗教、それ自体は安全でも
扱う人間が暴走すると
危険なもの、胡散臭いものになってしまうのです
授業中うわの空で
何も聞いていないようでも
そういった危険と胡散臭さは知っているんですよ
学校教育や政治に宗教は持ち込まない
それはそうなんですが
きちっとしたものの道理
拠りどころ
信念みたいなものを学ぶことは
学校教育に大事じゃないかと思いました
宗教に頼って寄りかかるものではないし
祈れば救われるとか
こうすれば運が良いとか
安直なものではないと思うのですが
今は
これをするだけで痩せられるにはじまり
こうすれば天才に育つ
聞くだけで英語が話せる
これが将来得な学校
絶対安心な会社
などなど・・・
ちょっと大乗すぎます
現在こそ
何を目標に
自分をどのように律し
どんな風に生きれば
自分は心豊かに過ごせるのか
考えるときでしょうね
子供たちは教えて欲しい
知りたいと思っているんじゃないかと
そんな風にも思います

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-26 23:33

過保護か放任か・・・

「はじめてのおつかい」って番組ありますね
似たような企画もいっぱいあります

私たち家族は楽しめないんですよね
というか
あまり見たことがない
見ていても
途中でチャンネル変えてしまいます
なぜ
早く、早くって急ぐのでしょう?
3歳や4歳で一人で買い物に行けなければだめでしょうか?
バスに乗れなきゃいけないでしょうか?
そんなことちょっと大きくなれば簡単にできます
小さな子を一人で外に出すのが良いことのような・・・
何だかちょっとした虐待だよね
って
お子たちが言います
そんなことよりも
もっとちゃんとあいさつすることとか
他の人が困っているコトを察して声をかけるとか
思いやりを持つとか
そういう心の成長を先にさせようとした方が良いのに
って思います
買い物できても
バスに乗れても
心の方が赤ちゃんのままでは
かえって扱うのが大変になるだけじゃないかと
心配する次第です
私たちはアメリカに居たことがあるので
12歳になるまでは
子供を一人にさせてはならないという法律があって
留守番もだめだし
外に一人で出してもいけません
犯罪です
逮捕されます
だから、つきあってよ~
ってお頼みしていましたから
そういうこともあってなんですけどね
私は下校時刻とされる時間を過ぎたら
塾から帰るときも迎えに行っていました
夜になって小学生がひとりでふらふらしている
自己や事件に巻き込まれるかもしれないのに
一人で危険から逃れてちゃんと家に帰って来なさい
出来て当たり前
出来なきゃいけない
ってことですよね
ちょっと安心しすぎ
こんなに事故や事件が続いているのに
何の対処もしないというのが不思議な感じです
こういうことをいうと
過保護だって言われるんですよね
学校の先生は特にそう言います
それも疑問で仕方ないんでっすよね
夜10時過ぎて外で小学生が立ち話しているんですよ
30分とか1時間とか
携帯の電源切って
外灯も少ないところで
何かあってからじゃ
もうどうしようもないのに
日本は安全なんてもう神話でしょう
私が子供の頃でも
中学時代でも
朝練習やクラブ活動で遅くなったら
母は迎えに来てくれていました
現代ならもっと警戒すべきだと思うのです
そして
娘ちゃんをそうやって大事にしていたら
習い事の先生
アルバイト先の店長
きちっとしたご家庭ですねって言われたよ
と言っていましたし
そのように扱ってもらえるんですよ
大事そうだから慎重に扱おう
と思ってもらえるのです
そういうことって大事じゃないかと思うのです
それほど大事じゃなさそうなら
雑に扱ってもいいかな
と思われるよりは絶対に良い
と思います
娘ちゃんは、ちゃんと練習しなくても
お使いや電車やバス
必要なときに乗れましたよ
言っていた時間に帰れそうじゃないと
公衆電話から連絡入れてくれます
それで良いかな。。。

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-23 23:36

ラプソディー

日本に住むアメリカ人の友人と久しぶりに会いました
彼女の娘はアメリカの大学へ進学しています
夏休みには親元に来ていました
日本のアメリカンスクールを卒業した娘は日本育ち
アメリカ国籍の米語を母国語として話す娘ですが
アメリカで生活するのは初めて
小さな違いでカルチャーショック
大騒ぎしているそうです
銀行のATM
入金しようとしても入金できない~とか
出金は日本と同じだったように思いますが
封筒に入れて入れるだけ
金額表示がない
そう
通帳というものがないのです
残高確認がその場でできないのです
そして
バスと
日本の新幹線にあたるアムトラック
同じ場所に行くのに同じ時間かかる
It moves very slowly!
と電話してきたそうです
爆笑してしまいました
私たちも
いろいろなことで大騒ぎしつつ
走り回っていました
そのときは
言葉がもっと堪能ならば…
と思いましたが
言葉とは関係ないですね
そういえば、そうなんですよね
でも
そのときは、いっぱいいっぱいで
言い訳気分で
あれができないから、これができないから・・・
って
イライラしてしまいます
そして
そういう小さなギャップの騒動を分かち合う相手は
経験したことがある人同士なんですね
彼女の娘は
アメリカで電車の切符の買い方、乗り方もわからない
それをアメリカ人の友だちが
東京から来たんだろう?
なぜ電車に乗れないんだ?
って言うのよ~
電話で愚痴っていたそうです
分かりそうなことなのですが
経験がないと
思い至らないんですよね
日本に来たアメリカ人も
日本のATMは分かりにくい
って頭を抱えます
特に振込
カタカナ入力です
しかも
海外の人間の名前は入力字数をこえますからね
慣れないって大変です
もちろん
帰国したての頃の私たちも
母国日本で大騒ぎでした

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-20 09:19

日本と海外と報道

反日デモのニュースがいっぱいです
さすがに今回は凄いことになっているのかな?
と思いますが
日本での海外ニュースの報道は
針小棒大だったり
客観性が欠けていたり
ニュースソースに偏りがあったり・・・

実際にその場にいるとずいぶん違うものになっているのだな
と感じることは多いです
上海大学に留学していた学生の話では
政府のやり方に疑問を持っている学生もいるし
反日デモの破壊活動は無意味なことだと考える若者もいる一方
何も考えず、何のデモかもわからず参加しているヤツもいっぱいいる
でも確実に
もっともっと先のことを真剣に考えている若者が多い
日本の遊ぶこと、モテることばかり考えている学生とは大違い
って言うんですよね
それにしても
上海の学生の話であって
学生の何パーセントか
上海ではどれくらいの数か
全土では?
となると分からない話
でも
本人たちも分からないんじゃないかな?
と思います
日本でも報道や番組出演者のコメントで
ムーブメントを起こそうとしたり
流行らせようとしたり
無理な力、ゴリ押しが働いているのを感じることがあります
というか
最近多いように思います
意見の押しつけ
先導
番組で本筋よりもリアクションを狙っている画像が多くて
こんなに出演者は感動しています
喜んでいます
だから
これは良いことです
これは素晴らしいのです・・・

先に意見を押し付けられている気がしています
赤線や二重線を引いた
他人の本を読まさせられている感覚です
ニュースも同じく・・・です
本当はどうなんだろう?
本当にみんなそう思っているかなぁ?
って思います
分かりませんが
それでも疑問に思ってみることは大事かなと思うのです
ニュースや報道の印象は強いので
海外では
例えばアメリカは
日本と中国の関係なんて
政府と経済界の上の人しか興味ないとこですし
中国と韓国はひとつの国だと思っているアメリカ人もいますから
まとめて
中国と韓国は攻撃的
となってしまうのです
日本はのらりくらり
分かりにくいと海外の人が言っているという記事を見ることがありますが
一般的には
まとめて日本は温厚、礼儀正しい
となるのです
これは海外に出ると実感することです
先人たちが忍耐と努力で作り上げてきたものだと感謝するのです
損をしたり
イヤな思いをすることは多いのですが
それでも
人々はちゃんと見ていくれています
もちろん分かってくれない人や日本人が嫌いな人もいます
それでもちゃんと何か受け取ってくれています
自分たちの美徳を信じる勇気と忍耐と努力
自分の正しい価値観と判断でひたむきに生きる
諦めずに
そのように生きていきたいと思います
他の人もそうであって欲しいと思います
誰か一人でも
心に届きますように
そう願います

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-18 09:42

知らないってば。。。

テレビを観ていて思い出しました
娘ちゃんが小学2年生の頃
たまにお泊りに来て遊ぶお友だちがいたのですが
てんてん転校生
相手のおうちがどんなで
親の職業がなにで・・・
なんて知らないわけで
あまり興味もないわけで
社宅なんて定義も分からない
〇〇ちゃんのお父さんもパパと同じ会社なんだって~
なんて言っていましたから・・・
私たちは社宅だし
その時期の転校生ってなると
自己紹介なんてしなくても分かるってものですが
逆は分からないんです
いつも遊びに行かせてもらっているし
おねぇちゃんにもこの娘にもサイズが合わないから
良かったら着てください
って
ジャケットをいただきました
内側は赤いフリース
外はカーキー色のウインドブレーカーで
別々にも着れるっていう代物
ありがたくいただきまして
母子で分けて着たりしました
ある日小さい子が
おばちゃん、子供の服着ている~!
って囃されまして
何でわかるの?
って聞くと
それ有名な子供服ブランドで高いんだよ
と教えてもらいました
知らないって怖い。。。

でも気にしない~
なんて思っていたら
他のママに教えてもらいました
万はするんじゃないかって
ええ?
そんなものくれちゃうの?
でしょう?
お父様はとても有名な方だそうで
お母様も事業をされていて
かなりの資産家だとか
そんなこと知らないから
高価なものかも・・・なんて考えもしなかった
だって子供服でしょう?
って思っていましたから
知らないって怖い。。。
築45年の社宅で雑魚寝ですよ
もうすべて知らないことにしようって
それで通しました
その後すぐにアメリカへてんてん転校生
そこでも母子で着ていましたよ
もう気にする相手もいないし・・・
ってね
そしたら
知らないんだとは思うけど・・・
虹のマークって同性愛とかゲイの集いのマークよ
って
アメリカ人が教えてくれました
知らないうちに主張していたんですね
知らないって怖い。。。
テレビでね
同性愛者たちの集会がローマで開催されて
ゲストがガガだったっていうのを見て
娘ちゃんと
思わず
そういえばさ・・・って
笑いました

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-15 22:58

女ことばと日本語

「女ことばと日本語」
  中村桃子

イデオロギーとか
国民化とか
小難しい言葉が並んでいるところは
特別快速で飛ばしてしまったので
ちゃんと読めているのかは定かではありませんが
女ことばがある言語は少ないってことで
なぜ女ことばがあるのか
って考えるのです
女ことばっていうのは
あら・・・とか
まぁ・・・なんて相槌を打って
~よね
~かしら・・・
~だわ
って〆ておけば
女っぽくなるんじゃないの?
と思ってしまいます
それはオネエことばでしょうか?
どうせ女の言うことですから・・・
オネエの言うことだから・・・
って
どんなにズケズケ踏み込んでも
どんなに悪口を言っても
許される感じがします
言い方
言葉
そこを間違わなければ
言いたい放題
好き放題
できてしまうかも知れないと思うのです
つまりは男尊女卑なのですが
女はそんな小さなプライドはないので
気にしない
もっとしたたかで
もっと賢くて
言いたいことを言っちゃうのです
女であることを特権に
女ことばを利用していたんじゃないかと想像します
蓮舫さんが事業仕分けで発言したときに
批判されたり
ドン引きされていましたが
それは内容ではなくて
話し方だというのです
確かに
男性議員が言うなら
よく言った~!
と褒められそうなことが
女性議員だから失礼だとか言われるわけです
女性から見てもそうなんですから
女ことばって不思議ですね
英語では女性も男性もほぼ同じ文で話していたように思いますね
字幕には
女性が話すとき女ことばになっているんですよね
あんな優しく、上品な話し方をする女性は日本にはいない
と思うようなことばです
私が言ったら、冗句だと思われますね
でも黒人女性の台詞はちょっと崩してあって
荒い言葉になっていたり・・・
確かにその時のその女性はそんな感じの人
という印象なのですが
それも本当かどうか・・・
それって差別?
って思うときがあります
英語が母国語の人はどのように印象を持つんだろう
私の話す英語はどのように聞こえるんだろう?
と思うことがあります
以前
とんねるずが宮里藍さんとゴルフをしていたとき
打ったボールに止まって欲しいと思ったとき
アメリカ人はBite !って
格好良く言うよね
と発言すると
女子は言いません
女子選手はSit !って言いますよ
ておっしゃっていました
あれは女ことばではないけれど
女性の表現
そういうのはあるんだな~
って妙に感心したことがあります
アメリカでも
女性は男性より控えめで、優しげにしている方が良い
というのがあるのでしょうね
男女平等ではない
でも
日本の女性は女であることを楯に
ちゃっかりと
楽に生きているように思うのです
それが良いのか悪いのか
ひと言では答えられませんが・・・
そういえば
日本に帰国したとき
息子くんは発言が女ことばのようでした
パパさんは出張しがちで
母と姉との会話だけが日本語というような状態でしたから
まだ小学3年生だったので
丁寧な言葉遣いの優しい子
という印象で
ママたちからの評判は良かったです
イメージというのは
上手く使えると便利ですが。。。

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-14 23:32

往復書簡 #2

「往復書簡」
 湊 かなえ
そのなかの
「二十年後の宿題」は
ひとつの事件にかかわった6人の生徒の
6通りの捉え方が読めます
男と女の違い
家庭環境の違い
どこまで事件を知っているか
どこまで近くで事実を見たか
何を体験したか
同じ場所で同じ時間を共有していても
同じものを見ているわけではないし
同じ様に考えるわけではないし
20年経って
同じ様に変化するわけではないし
そうなると
人が共有するものって何だろう?
って思いますね
人はそれぞれ違うものです
似てはいても
同じではない
だから
分かちあえると盛り上がるのですが
同じではないと分かるとがっかりするのです
じゃぁ、人とどう繋がっていけば良いというのだろう?
そう
訊けば良いのですね
「往復書簡」は
教えてください・・・って手紙を出すことから始まるのです
知りたい
訊きたい
教えて欲しい
懇願して
頭を下げても
分かりたい
その人への興味と執着
それが人と人の接着剤になっていますね
でも
自分とかかわりのある人や事柄について
他人が語る話を知るには
度量が要ります
ちゃんと受け取らなくてはいけません
訊こうと思って訊く分には
まだ準備ができているから良いとして
突然訊かれても・・・
ですね
みんな躊躇したり、困惑しながら
会って話したり
手紙を託したり
それでも誠実に答えようとします
そこに希望や未来があります
私としては
小学校に入って2度転校した男の子の手紙が心に残ります
てんてん転校生の母ですから
彼は「会いたくない」と言います
かかわりたくない
イヤな思い出
悪夢なのです
それでも手記を送ります
担任教師への不信感が
うちの娘ちゃんが言っていたことと似ているのです
教室の隅で、本を読んだり、絵を描いたり、折り紙したり
休み時間を一人で過ごしていると
友だちのいない気の毒な児童
と先生の目には映っている
クラスメートとドッジボールをしたり
一緒に何かをしていなければ問題児扱い
それが面倒くさい
そして
世話役のように一人生徒をあてがおうとする
自分で選んだ気の合うタイプでもない同級生と
好きでもないこと
どちらかというとやりたくないことばかりを一緒にさせようとする
これが苦痛だってね
娘ちゃんは小学校6年間で5校の学校に通いました
転校先の小学校ではどこでもそうでした
教師のマニュアルに書いてあるのでしょうか?
もしそうなら間違っているので訂正をお願いしたい
家が近いから登下校が一緒の子を
元気で明るい子を・・・と
くっつけるのです
同じ同級生に面倒を見させるって
優越をつけるようなものなんですよ
「一緒に連れて行ってあげて」
そんな風に先生は言うけど
確かにその言い方は間違っていると思います
それによって
以後の図式が決まってしまうのです
そして
「一度ついて行ってしまうと、離れるのは容易じゃない
 ・・・・・・最初に一人でいることは嫌われていることではない
 しかし、今(一度一緒にくっついた後)一人になるのは
 嫌われているということだ」
と手記に書いています
そういうことなんです
一人でいることを認めてくれたら
それは一人で本を読むのが好きなおとなしい子
として認知されるのです
定着すれば、自由が確保されるのです
そのうち同じようなタイプの子と出会えるのです
そっと見てくれていたらいいのです
いじめの芽は先生や大人が撒いていることが多い
小学校で撒かれた種が
中学校で発芽して育つってこともあります
子供はバカじゃないのです
分からないことがあれば訊くでしょうし
訊きにくかったら
周囲の真似をしたり、後ろからついて行きます
世話をやきたがる子はどこにでもいるし
そっと助けてくれる優しい子もいます
子供だって見る目や感が働きます
ちゃんと考えられます
これが
小学校だけじゃなくて
中学校でも同じやり方なんですよ
高校でもそのようです
小学校一年生から高校三年生まで
同じ扱い方ですか?
そして先生は世話役に丸投げして
もう見ていないってことが多いです
ただ
「二十年後の宿題」で思うのは
先生は良い先生なのか、悪い先生なのかって考えるのは陳腐です
良い人か、悪い人かで人を分類することに意味がないからです
人は他人とどう繋がっていくか
他人との思い出をどう受け入れていくか
物事や歴史
自分の成功や失敗
他人との繋がりなしにありえない
人生そのものが人と人の繋がり
良いも悪いも全て含めて縁あって出会った人たち
意味ある出会いだと思います
「十年後の卒業文集」
卒業文集は区切りをつけて、未来へ向かうこと
「二十年後の宿題」
宿題は整理して、終わらせること
「十五年後の補習」
補習はまだ足りなかったことを学ぶこと
「一年後の連絡網」
連絡網はただのお知らせ
人と人の出来事には
そういったことが必要なのだと思います
「てんてん転校生」は
たぶん卒業文集ってところでしょう

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-08 10:06

往復書簡 #1

「往復書簡」
 湊 かなえ

を読みました
幼なじみだったり
同級生だったり
転校生だったり
友だちとのやりとり
先生と生徒のやりとり
言葉が行ったり来たりするのです
友だちが見ている自分と自分が見ている自分
自分が見ている友だちと友だちが見ている友だち自身
ギャップがあるのは当然だけれど
毎日会う人や
一緒に何かをやっていたり
長い付き合いの人
波長の合う人だと
心の揺れや秘密を嗅ぎ取って
察してあげることができたり
より深く分かち合えたりできる
それは素晴らしいことで
誇らしくもあり
とても嬉しい
ただ
そこには
見えているつもり・・・という浅はかさ
知っているはず・・・という怠慢
自分なら分かっていて当然…という傲慢
そんな落とし穴もある
時間を経てから話すと
相手の思いは全然違っていたり
自分は気が付いていなかったり
見えていなかったり
お互い傷つけあっていたし
傷つけていたことに傷ついた
そういう経験があります
喜んだり、怒ったり、悲しかったり
とても消耗して
辛いと思ったけれど
お子たちが
来るもの拒まず、去るもの追わず・・・
さらっとしてる
というか
傷つかないように
ぶつからないように
面倒なことになりそうになると避けたり
上辺だけの話しかせず
心を開かず、見せず
自分の心の中も見ないように生きているようで
かわいそうに思えるのです
不思議です
「十年後の卒業文集」
の往復書簡には
棘や毒、汚物までの買ったような言葉も散りばめられています

同時に愛着や懐古、絆もふりかけられています
友だち同士だけじゃなく
親子や夫婦
人間同士の繋がりってそういうものなのかな
と思いました
良いところも悪いところも
きれいなところも醜いところも
すべて含めて離れがたい
それが縁あって出会った人たち
良い思い出も嫌な思い出も忘れることは出来ない
短い付き合いも長い付き合いも関係なくて
みんな縁あって出会った人たち
そんなことを
思い出させてもらいました

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2012-09-08 00:33