てんてん転校生

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私たちはスミスフィールドに引っ越した

たくさんの学校を見て
たくさんの家を見て
比較しているうちに
自分たちのことがよく分かってきますね
それまでは
会社が用意してくれたところへ
自分を合わせて入る
そういうものだと思っていたので
何を良いと思うか
何を大切にしたいか
考えてはいなかったようです
アメリカで学校に望んだことは
先生が理解してくれること
外国で生活した経験がある
言葉が分からなくて苦労したことがある
ただの旅行だったり
短い期間であっても
知っている人と知らない人では
感覚が全然違います
最初の学校の担任は
その州から出たことがない
年配の女性でした
だから
若い先生もいいかもしれない
経験や知識に頼らず
自分の目で見て感じてくれます
また
生徒の分布
アメリカ人がほとんどなのが当たり前ですが
白人・黒人・その他の割合
アジア系・ヒスパニック系・中東・ヨーロッパ
ある程度の人数で構成されている方が良い
よく分からなくても
理解できなくても
いろいろな考え方、習慣、伝統があって認め合わなければならない
という観念が守られるから
そういうポイントで
学校を絞って行った
スミスフィールドのつくりは好印象でした

c0199869_023235.jpg


教室と教室の間に準備室があって
そこに先生がいることが多いので
目が届く
しかも
教室側からは分かりにくいが
マジックミラーの窓があって中の様子が見える
マイクをオンにすると教室内の音も聞ける
親も希望すれば
教室内で起こっていることを見ることができるのだ
そして
生徒たちも
先生や親たちが見ていることがあると知っている
健全に保たれやすいし
親も学校に不信感を持たないでいられる
また
校長先生は黒人だったし
黒人の先生が何人もいる
差別に敏感な南部のことだ
黒人生徒に注意するにも
差別だと騒がれることを恐れて
ぴしっと言えないこともあるが
スミスフィールドでは
そんな逆差別はないだろう
そして
ちょうど学校のすぐそばに空き家が見つかった
近所に小学生たちがいっぱい住んでいたし
あまりに近いため
子供たちだけで
歩いて登下校しても良いとされる地域だった
送り迎えするかスクールバスが原則のアメリカでは珍しいかもしれない
学校が終わると
3分後には家に帰ってくる
日本の登下校みたいに
また
3年生以上は
学年末には全教科テストがあるが
最初の学校で
渡米3か月だった娘ちゃん
テストのある日は
ESLの教室で一日中ボ~っと過ごすことになった
授業をしてくれるわけでもない
やることがないのだ
テストを受けなくていいね~とか
遊べていいよな~とか
おバカは楽だな~とか
とからかわれる
そうじゃなくても
何となく自分が下に見えてしまう
英語は分からなくても
そういうことは感じていた

渡米1年を過ぎたときの娘ちゃん
スミスフィールドでは
テストを受けないESLの生徒たちは
キンダーの子供たちの遊び相手になったり
本の読み聞かせをしたり
一日、先生のお手伝いをすることになっていた
英語の勉強にもなるし
自信と責任感が育つ
これも教育
ずいぶん違うじゃないか
最初の学校よりランクが下だというが
とても素晴らしい学校だと思った
ここなら学ぶことがある

新しい学校で
新しい友だちと先生と
新しい気持ちで
新しい生活が始まったんだと感じられた
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by cosi-e-cosi | 2011-08-31 01:10

アメリカで転校生になった理由 #2

学校って
通っていれば
何かしら学んでくるものじゃないの?
そう思っていたと思う

深く考えたことはなかったと思う
けれど
必要以上の労力はやる気を失わせる
難しすぎる内容も
簡単すぎる内容も
どちらも自尊心を傷つける
子供たちは誇り高い生き物なんだ
10歳にして夜11時ごろまで勉強
宿題と予習をして過ごすなんて
やはりおかしいんじゃないか?
東京の中学受験を目指す子はそんなものか?
いや
なんか違うと思う
「もういいよ」なんて言っても
みんながやることを同じようにやり遂げたい
諦めたくない
子供は誇り高いんだ
もし
もう無理となって
親がやって提出したら
担任はそれで良いと言うが
それでお子たちは何を学ぶというんだろう?
これは適当でいいよ
手抜きしなさい
って
教えるのか?
そういうテもあるのか?
その方が良いのか?
真面目にやるばかりが良いわけじゃない?
そうなのか?
迷いましたね
手伝うにしても
実際にやるのは子供
大変なのは子供
本当に悩みましたね
今になってみると
担任の先生が言った
「私にはほかの生徒を守る責任がある」も
少し意味は分かるんだ
一生懸命真面目にやっているアメリカ人生徒は
すぐ傍で
簡単なことだけやって許されている同級生
ちょっと努力しただけで褒められる同級生
を見ると
テンションが下がる
ずる~いって思う
頑張る気持ちがくじける
実際
その後そちら側になったとき
ちょっとね
少しそう感じましたから。。。
それでも
この時の担任は
地元の生徒のことを守る気持ちは強くても
外国からやってきた生徒の子とはお荷物としか感じられないんだ
って思う
不信感
立場は分かる
私たちは駐在員家族
移住したわけではないが
「私には自分の子供を守る責任がある」
何とかせねば・・・
そんなときに
会社が用意してくれた家が老朽し
ほかに家を探すことになったんだ
ある意味
チャンス到来
近所の公立小学校5校・私立校3校を見学しましたよ
私立では
ペーパーテストもあるし
一日入学でクラスの子供たちとどのようにコミュニケーションをとれるか
また別に
担任になる先生と本読みを一緒にして
相性や能力をみてくれたりするんだ
その上で
成績と印象、これからの課題など書類や手紙をくれる
子供たちからの感想もくれる
一応受験なんだが
とても楽しいし
アドバイスしてもらえて
今後のヒントにできました
そして
学校を選びました
選択のポイントは次回書くとして
このとき
転校と同時に
娘ちゃんの学年をひとつ下げました
5年生の終わりの頃
4年生に編入したのです
そしてすぐ
また5年生になりました
これはこれで大変な交渉でした
学校の評判に傷がつくんでしょうか?
反対されましたね
前例がないんでしょうか?
転校先の校長先生にも反対されましたね
でもね
too much work だったんです
本人はやれたという気持ちがひとつも持てないでいたんです
もう一度5年生やりたかったらやっても良いよ
6年生になっても良いし
どう?
と聞くと
もう一度やったら全部できると思う!
と喜びました
最初tutorをしてくれていたイタリア系アメリカ人の知り合いが
転校先の小学校で
養護の先生として働いていました
彼女が校長に説明してくれました
それでやっと自主留年できたのです
息子くんは、新学年になってから転校
登下校時間が1時間ずれていたので
2か所に送り迎え可能でした
これはこれで、また顔に泥を塗る行為だったかもしれませんね
良い印象ではなかったでしょう
英語が堪能なら
もっと理解しあえたかもしれません
もっとちゃんと説明できたのかもしれません
誤解もあったかもしれません
もっと上手いやり方があったかもしれません
でも
引っ越してすぐ
仲の良かった同級生のメアデスが遊びに来てくれました
「学期が始まる前になると胃が痛いって言うのよ
 担任の先生にプレッシャーを感じるみたい」

迎えに来たメアデスのママが言っていました
学年でも優秀な生徒のひとりだったアメリカ人でさえそうなんだ
あまり生徒を守れてないじゃん!

思っちゃいました

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-29 16:01

アメリカで転校生になった理由 #1

アメリカで最初に通った小学校は
その地区で評価の高い学校でした
評価というのが何なのか
詳しくは分かりません
3年生から学年末にテストがあって
テストの成績によっては進級できません
飛び級がありますが
キンダーでも留年があるのです
プログラムも違います
テストの点数か
留年した生徒の数か
良い環境として
会社はその学校区に家を用意してくれました
日本人同士でも
その学校に通っているというと
少し羨望の入った目で見られます
企業は社員の居住や生活、学校
そういうところも競争して
少しでも格上だと言いたいらしい
それはそれでありがたいのだが
本当にそれでいいのか
それをどう生かすか
そういったことは各自考えなければいけないんじゃないかな?
と思う
アメリカにはマイノリティ優遇という概念がある
外国人や移民・黒人が優先的に入学を認められる枠がある
そのために
学校のすぐそばに家があるのに
その学校に入学できない白人アメリカ人も出て来るのだ
基本的には
白人は白人の多い所に住み
黒人は黒人の多い所に住む
そういった傾向にあった

アメリカ東海岸の南部
といえば
そういった問題を抱えているものだろう
実際
お子たちのパパママには
自分の子供のころには家に黒人の使用人がいた
という人が多かった
墓穴を掘っている黒人の横に白人の上司が立っている・・・
映画のようなシーンを見ることも多い
なので
「逆差別だ」という発言を聞くことも多かった
当然優遇されている方に入る
うちのお子たちを見る目も厳しくなる
英語の勉強になるから

国語(つまり英語)の授業では
みんなと同じように
テキストとなった本を毎日2チャプターずつは読んでいかなければならない
ナチスドイツがデンマークを占領していた時にユダヤ人を助ける組織があった話だったり
アメリカ原住民の生活と外国人との取引の話だったり
親が離婚して祖母に育てられている子供と上級生の学校物語だったり
一日20ページくらいかな?
単語を全部調べて
内容を把握する
それについての宿題も出る
yes,no,thank you
くらいしか分からない外国から来たばかりの10歳に
なぜそんなことをさせるのか
今でも理解できない
そして
ESLという英語を母国語としない人の為のクラスには
理科や社会の時間に行く
その抜けた時間の勉強は自分でやっておけということになっている
理科や社会は受けさせてくれ
と交渉した
その方が英語が分かりやすいと思ったのだ
英語を身につけるには
その方が良い

担任もESLの先生も学校長も認めてくれなかった
しかも
宿題やプロジェクトの発表や提出は
ほかの生徒と同じようにやってくれ
の一点張り
できるわけないじゃん
親がやって出すのかい?
と聞くと
yesだ
なぜ?に、答えは
「私にはほかの生徒を守る責任がある」
だった

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-29 10:18

遠くの日本人より近くのアメリカ人

海外にいて
ちょっと困るのが
日本人の少なさ
当然といえば当然ですが
何となく聞きかじってくること
外で学んでくること
何となく知ること
比較して理解すること
そういうことが少なくなります
なので
生理が始まるかも知れないお年頃
母が全部教えておかないといけないのかな~
少し面倒に感じました
それでも女の子なのでまだいいけれど
男の子がその年歳になったら・・・
あまりアテにできないパパさんなので
考えたら不安でした
アメリカの小学校は
4年生で身体の成長の授業がありました
その時の担任の先生は
ドイツ系アメリカ人女性
ドイツの親戚の家に行った帰り
天候悪化の為飛行機が欠航
分からないドイツ語で説明され
一夜をホテルで過ごし
翌日アメリカへ帰国
そのときの不安と怖さを思い返し
日本人のいないクラス(学年でただ一人の日本人だった)で
10歳の女の子が一人でがんばることの
不安や怖さを思いやってくれる先生でした
アメリカがそうなのか
州がそうなのか
その学校がそうなのか
先生はアルバイトOKでした
放課後
tutor(家庭教師)をお願いしました
英語を教えてくれたり
宿題をみてくれたり
そして
生理の話も簡単な英語で説明してくれたそうです
母は確認する程度で良かったわけです
助かりました
ほんと!
気持ちが助かりました
できないことはないにしても
全てを母一人が背負うのは少々辛いですから
そして
日本語を勉強して
日本の会社に勤めたこともあるアメリカ人男性
お友達のお父さんですが
自分の使っている電子辞書を教えてくれました
それまでは辞書を使っていたのですが
英語の辞書って中学生以上に作ってあるんですよね
まだ英語教育は中学からでしたし
アメリカの小学校4-5年生の英語は
日本の大学生レベルの単語が出てきます
古語も出てきます
辞書を見ても
書かれている漢字が読めないし
日本語が難しくて
子供には分からない
ちょっと考えれば分かることなんですが
渡米前には気が付きませんでした
そんな話をしていたら
分からない漢字や意味もそのまま調べられるよ
アメリカ人の自分にもわかる日本語にしてくれるよ
というわけで
インターネットで注文してくれました
なるほどなるほど
これは便利!
娘には頼りになる守護神
肌身離さず持っていましたね
今ではあまり使うことがありませんが
そして
ほとんど壊れておりますが
気持ち的に手離せないようです
そういうのを見ると
いかに教室で一人戦っていたか
思い及びますね
今頃ですが
ありがとう
改めて伝えたいです

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-28 15:22

躊躇しない力

娘ちゃんに比べて
息子くんは
順応が早かったですね
アメリカでも
泣き叫びつつ教室に入り
脱走まで試み
先生を叩いたり
派手に騒いでいましたが
30分で慣れました
性格ですね
そして
6歳という年齢ですね
教室では
パソコンが数台あって
ゲームが出来ます
ゲーム好きの彼は
すぐに遊んでおりました
また
みんなで小動物を飼っています
ジャービーというハムスターのようなのがいて
彼を喜ばせました
彼は言葉に頼って生活していないので
周りの言葉が分からなくても
ゼスチャーや雰囲気で理解するだけで良かったのでしょう
はっきりしなくても
確認しなくても
気にしない
これ何?とも聞かない
ただ欲しいものは欲しいし
楽しいことは楽しい
表現することを躊躇しない
それはとても大きな力です
1週間もすると
「今日からクラスのみんな日本語を話すようになった」

言い始めた
そんな訳はない
すべて分かるようになったので
日本語だと思っていたのだ
クラスには
ヒスパニック系の女の子がいて
彼女はスペイン語しかしゃべれなかった
日本語しかしゃべれない息子くんと
二人はよく会話をしていた
彼女はスペイン語
息子くんは日本語
二人の間では会話が成り立っていて
実に楽しそうにしゃべっている
時々笑っているんだ
爆笑までしている
周囲のアメリカ人だけが?????
?が飛び交っている
テレパシーか?
ってね
見ていてとても不思議であり
美しいものだな

思った
そして
息子くんから勇気をもらい
生きていく力を学ぶのでした
海外で生活することは
決して難しいことではありません
けれど
勇気と忍耐が必要です
たとえば
表現する勇気
分かってもらうまで表現する勇気
そして忍耐
それがとても大変なことですが
逆に
それだけで良いのです
少ししゃべれるようになった頃
自分の名札がないので
息子くんは
” Give me what's your name!"

先生に言いました
みんなが”What's your name? "と言って
名札を見るのでしょう
先生は名札を渡してくれて
そして
平然と言いました
”Next time say `name tag` "

そうやって学んでいたのです

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-26 10:03

子供の能力は無限

子供はなんだって吸収する
いくらでも吸収する
って言いますね
でも
それは違うと思う
少なくとも
うちのお子たちは違った
違うように見えた
転校先となった
アメリカの小学校も
5年生になると
かなりしっかり勉強する
途中参加の場合
追いつかなければならない
追い上げなければならない
当然スピードを上げなければならない
基礎からやっていないのに
さかのぼりながらも
前に進まなければならない
たとえば
受験勉強なら
一番まずい勉強の仕方だと思う
しかし
それしか与えられない
毎週単語テストがある
スペルを覚え
意味を覚える
意味まで書かされるのだ
娘ちゃんが、生まれて初めて覚えた単語は azure だった
意味は空色の・青色の・紺碧の・・・
blue sky blue と説明しなければならない
azure と blue と sky を覚えなければならない
かなりの数だ
算数も
分数の読み方を覚えたり
+は add
× は by
とか
円柱とか、六角形とか、球体とか
およその数とか
理科は
光合成とか
積乱雲とか
フェーン現象を簡単に説明とか
おしべ・めしべに花びら・・・
全て英語
彼女は毎日毎日頑張りました
もちろん日本語も
漢字や熟語・・・
毎日毎日・・・
勉強して
テストで正解して
帰ってきます
毎日毎日・・・
でも
何だか
同じページに上書きしているだけのような気がしました
書いては消し
書いては消し・・・
ひとつ英語を覚えては
五つ日本語を忘れる
けれど
そのとき
英語は教養でも科目でもなく
生活するための道具
進むためのアイテムのひとつ
とにかくやるしかなかった
無駄ではなかったと思う
そして
帰国して
また同じことを繰り返すことになる
今度は
ひとつ日本語を覚えては
五つ英語を忘れる
そのとき
やはりやるしかない
良~いドンで始まる日本だ
受験もすぐ来る
無駄ではなかったと思う
けれど
良かったのかどうかは分からない
もっとほかに
やり方があったかもしれない
それでも
眠れぬ夜をいくつも数えた
考えて考えた
もうこれ以上無理ってくらい考えた
効率が悪いと思ったが
目の前のことをコツコツやるしかない
それしか思いつかなかった
後に
もし間違っていたと思ったら
もっとこうすればよかったのに~と思ったら
そのときは言ってください
謝るから

お子たちには言ってある
まだ
二人とも何も言わないから
あながち間違っていなかったのかも・・・
いや
比べる材料がなく
何も知らない

こんなもんだろうと思っている
それが
無限の力かも。。。

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-24 00:14

自分の守り方

■GK川島「カワシマ!フクシマ!」に抗議■
って記事を読みました
どこにでもいる
心無い言葉を吐き出す人がいる
そのときに
きちんと
それはしてはいけないことだ

冷静に言えるだろうか
川島選手は試合を中断して審判に抗議した

載っている
大人の行動だ
日本人は「空気を読む」
進行を妨げないように気を遣うため
見て見ぬふり
分かっていないふりをしてしまうこともある
言葉が違う外国ではなおさら
アメリカ南部の小学校に
娘ちゃんと息子くんを通わせていたときにも
様々なことがあった
やり返すと
やり返した方にペナルティを課す
アメリカ人は
先生が見ていないときに
先生に怒られないように
うまくヤル
英語が話せない外国人
特におとなしい日本人は
かっこうの餌食になる
見えないところで足を踏んだり
唾のついた紙くずを投げつけたり
足を引っかけたり
ベイビーとヤジったり
ジャップ(古~)と言ったり
娘ちゃんはよく泣いていた
やめろ~

はらおうとして
相手に手が当たり
演技力で勝るアメリカ人は痛がる
息子くんは
肘鉄を食らわせた

教室から出された
周囲の子は分かっている
分かってはいても
質問されるまでは何も言わない
日本では
先生が注意してくれる
周囲の子が何があったか
うるさいくらいに叫び出す
しかし
海外では通用しない
日本の常識
後で
母から先生に伝えたところで
なぜその時言わないんだ?
で終わる
話せるわけないだろう?
と思うが
未だに理解できない
それが常識のところだった
今思えば
日本語でいいから
あいつが悪い~
とか
蹴ったとか
鉛筆取った~
とか叫んでいれば良かったかもしれない
何かアクションを起こせば
質問してくれただろう
なにがあったの?

周囲の子に聞いたり
母に電話があり
お前の息子はなんて言っているんだ?

聞いてくれたんじゃないか
自分で抗議しなければならないんだ
そこからは
大人が正しく理解しようとする
先生も努力するが生徒も協力しろ
ということ
今だからそう捉えられるが
ただ違うってことに戸惑った
最近
サッカーの試合
特に国際試合や海外リーグの試合を見ていて
そういうことかな
と思った
しかし
当時は分からなくて
母が先生に手紙を書いて抗議するとか
たびたび学校にビデオカメラを持って参観に行き
ニコニコしつつ
子供たちを撮るような格好で
いじめっ子の行動を撮影
名前を覚えて
あなたの子とは子供からよく聞いているのよ

声をかける
それくらいしか思いつかなかったな
ほかのテを何か考えるから
少し待ってね

耐えるばかりの日々が多くて
二人には申し訳なかったと思う

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-21 14:40

守れない約束

小学校卒業のとき
20歳になったら会おうね
って
クラスでそういう話になったらしい
息子くんは
その頃僕はどこに住んでいるか分からないから
会えるかどうかわからない・・・

みんなと約束しないようにしていた
彼にとって
8軒目の家にいたときだ
守れない約束はしない
そんな真面目さと健気さを持っている
素敵なことのような気もするし
心配なことのような気もするし
切ないと思った
そして
いずれまたどこかへ行くかもしれない
ここにずっといるわけじゃない
そんな気持ちで人と接しているのだ
感情とか思いとか
リアルな気持ちを抱くことはないのかもしれない
そんな風に見える
痛いと思った
これじゃいけないだろう
強くそう感じた
もう
君たちの希望を聞かずに引っ越したりしないよ

約束した
私の9軒目の我が家にて

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-19 23:22

餓鬼の素

娘ちゃんの筆箱から
すべてがなくなったり
すべてが戻っていたり
明らかに
転校生へ
子供たちのいたずら
小学校一年生のちょっかい
都会の子供たちのあいさつ・・・
こんな反応するんだなぁ
知らなかった
歪んでいるなぁ
担任に相談するのは簡単だけど
事の次第がよく分からない
意味が分からない
説明のしようがない
担任に言うということは
事を大きくするかもしれない
言葉は
いつもうまく届くとは限らない
どのような言い方をするのが良いのか
人柄
考え方
土地柄
そういった質を把握してからの方が良い
間違いが少ない
1週間ほど様子を見よう
と思った
しかし
子供は不安で仕方ない
早く対処してやりたい
と迷う
そこで
息子くんを連れて散歩
と称して
校門まで迎えに
下校していく生徒たちみんなに
さよなら~

声をかけた
同じクラスの子もいれば
違うクラスの子もいる
違う学年もいたかも知れない
同じクラス?
よろしくね♪
って
同じ方向?
おばちゃんにも道教えて~
って
にこにこ
みんなかわいい笑顔で答えてくれる
こんな中にいるのかな?
筆箱のもの全部隠す子
みんな親切に教えてくれる
なんだろうな。。。
そう
その日から
筆箱から物は抜け出さなくなった
そして
クラスの子たちは優しかった
それでも
天使のように見える
かわいい笑顔の
天使じゃない
人の子たちは
いたずらをする小さな餓鬼の素を持っているんだ

思う

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-18 21:37

天使なんかじゃない

娘ちゃんの小学校入学前は関西におりました
社宅立替のため
川向うへ移動
この時点で
結婚以来4件目の我が家です
娘ちゃんにとっては3軒目
川を越えると、隣の市
何度も、問い合わせと確認の電話をして
書類を準備
転出転入も早めに出したが
3月末に入居開始となった
入学式前日の午後まで
入学式の案内は来なかった
「できるだけ迅速に対応いたします」
とは言ってくれるが
「もし、名簿に名前がなくても
 入学できるよう手配しておきます」
って
はぁ~?!
そういうのが嫌だから
焦っているんだ
誰も何もわかっちゃいない!
ちゃんと
普通に
スタートを切りたい
そんなに無茶なことなのか?
わがままなことなのか?
って
イライラしました

無事入学できましたが
隣の市からの入学
その学年はうちの娘ちゃんだけで
幼稚園からの知り合いは一人もいない
本当に不安そうな顔していました
転校生気分です
そして2週間後に転勤が決まったわけです
ゴールデンウィーク明けには東京の小学校
本当の転校生に昇格です
なぜこんなことに?
サラリーマンって大変
と思っていました
実家は自営業でしたから
サラリーマンの生活がどんなものだか知らなかったのです
あの社宅立替による移動については
上司が気を遣って
就学児がいる家庭だから・・・と
転居の順番を融通つけていたようです
しかし
横浜の研究所から出向
出向先から、いきなり支店へ
という都合上
あまり親しい上司や知り合いがいないうちは
何の配慮もされなかったわけだ
ほかは社内恋愛で結婚した人が多かったので
ご主人の上司&奥さんの上司
みんなが気を利かしていた・・・
と今頃になって分かった
そういうものなのか。。。
または
うちのパパさんは研究所出身の技術系
上司にうまく交渉しなかった
かでしょう
そして
東京転勤は
人事でもめて、決定が延びた
どおりでドタバタだ
周囲のみんなはかわいそうに思って見ていたのだろう
少しは良い気分で見ていたかもしれない

それはいいか
おかげで、結構親切だったもの
ってわけで
母子には何の関係もない話だ
振り回されるのは
いつもお子たちだ
転校生として
一人で多勢の中へ入っていかなければならない
母にはお子たちがいてくれるが
お子は、誰も付き添ってくれない
たった一人で
勇気を出して
踏み出すのだ
1か月に満たないに数日の違いだけ
と先生はおしゃった
簡単に言わないでほしいと思った
それが、子供には、大きな差なんです
1対約30
もう正確な人数は覚えていないけど・・・
いきなり
筆箱の中のものが全部なくなって帰ってくる
次の日は
すべて戻ってくる
また
すべてなくなって帰る
娘ちゃんは
どうしてなくなるのか
なぜ戻ってくるのか
全く分からない
不安になる
怖くなる
そりゃそうだ
母も同じ
不安になる
怖くなる
小学一年生といっても
こどもは天使なんかじゃない

つづく・・・
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by cosi-e-cosi | 2011-08-18 00:23